気功

少林内功易筋経複製原本(徳勝会所蔵)
少林内功易筋経複製原本(徳勝会所蔵)

気功にはいくつかの種類があります。一般には内気功を外気功があり、内気功は自分で練習し、外気功は外に気を発し人を治療する云々言われていますが、気功とは中国古来から存在し中国4000年云々。と、言われますが・・・。本当に、気功の歴史は古く殷の馬王堆の壁画にも記載があります。しかし実は、現在行われている気功はせいぜい60年程の歴史しかありません。1960年代劉貴珍と言う人が気功療法を提唱し、北戴河で内養功と言う気候で多くの患者を治療したのが始まりです。内養功は正座をして自分で練習す気功です。一般に知られる外気功はもっと後になります。現在、行われている気功の站樁功は意拳の創始者王郷斉先師が1950年代に発表したもので、独特のゆっくりした動きは太極拳の影響です。それなのに家伝云々とか、何百年何千年などと言い。厚顔無恥もいいところです。以前の気功は八段錦、易筋経のようなストレッチ的なものや素早い動きの多い五禽戯、座禅のように座って行う周天功、内養功のような気功が伝わっていたのです。しかし、60年代以降の気功が悪いわけではありません。只、家伝だとか何百年とか・・・嘘はいけません。現代の気功は1960年~90年代(文化大革命の時期は中断)法輪功問題まで、中国の国家を上げて研究したため多いなる発展をし、多くの臨床例を挙げました。がん治療の郭林新気功、内臓(特に胃腸、消化器系)に効果の高い内養功、関節痛や神経痛に効果の高い意拳站樁功。など、他にも大雁功、一指禅功真気運行法、蔵密功、禅密功、五行掌などが発生的に作られましたが。どれも、健康、病気予防、治病に効果がありました。しかし、一部の宗教的気功の台頭から中国当局の警戒が厳しくなり、少しづつ下火になっていきました。80年代の多くの気功家は「気功の発展には宗教と切り離さなくてはならない。」と、言っておられたのに・・・。日本に帰国後、驚いたのは日本の気功もいつの間にか宗教的になっており、健診、防病、治病が医療気功の原則なのに、皆、僧侶でもないのに仏法を語り、神主でもないのに神を語る。気功は訓練が重要なのに、練功をおろそかにし、挙句の果てには天から無限に気が降りて来るとうそぶく始末です。その醜い状態に嫌気がさし、気功をあまり表には出さなかったのですが、今回、有の志方々の熱い要望で門戸を開くことにいたしました。 

徳勝会の気功

 

当徳勝会の気功は1985年より、多くの気功家より学んだ気功を余すことなく指導していくつもりです。私の学んだ気功家を列記すると、黄美光、賈金鼎、王嵩高、林厚省、楊自正、張宇、林中鵬、杜洛尹、陳継生等です。学んだ気功も太極十八式、保健二十式、補気養生功、意拳站樁功、八段錦、易筋経、華陀五禽戯、外内丹功、大雁功、周天功、郭林新気功、真気運行法、太極功、八卦混元意気功、少林一指禅功、少林鉄布衫功、鷹爪功、龍爪功、龍形功、少林鉄砂掌功、少林紅砂掌功、道家金丹功、内養功、放松功等多くの気功を学びました。これらは気功師になるためです。当時、気功師は外気療法はもちろんの事、多くの気功の知識が必要でした、それは、患者に気功を処方するためです。胃腸の悪い患者にはどの功法を教え、神経痛には外気療法と気功按摩を併用するとか・・・など、気功師とは気功の専門知識、能力、基礎医学が必要です。只、一つ二つの気功に精通するのは気功家であって気功師ではありません。そのため、私は賈金鼎老師に意拳站樁功を黄美光老師に華陀五禽戯を学ぶかたわら、気功師になるために、両師の紹介で多くの気功家に気功を学びました。又、気功を極めるため白雲観の老道士にも学んだりもしました。気功師は気功を極める必要はありません。気功を極める事は「道」を極める事です。そのことは俗世を離れる事に近いことです。気功師は俗世を離れてはいけません。多くの病人を治療しなくてはならないからです。それに気づいたのは後の事でした。しかし、得たものはたくさんあります。故に、当会の気功は気功師を養成する方法と、気功家を養成する方法、両方面の指導しています。

                                     主幹 賀川雅好